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落選論文~何も変わらない日本に対して~その1
今、株価が急落し、パニックの様相を示しています。

 この背景には、もちろん、米国経済の減速化がありますが、そんなことより日本の政治のリーダーシップのなさが最大の原因です。構造的な問題(これから述べる「官主導から民主導への大きな転換」)を先送りし、場当たり的な目先の対応ばかりしているためです。これまでの既得権益を守ろうとし、過去の成功体験にこだわり、古いしがらみを断ち切れない古い体質の政治家が政権を担っているからです。

 ガンを患っているのに、栄養ドリンクとバンドエイドで、その日その日をしのいでいるようなものです。改革に向けた大胆な意思表示と行動が必要です。今こそ若い世代の改革の意思を持った政治家が結集をすべき時だと思います。



 株価対策も、「官主導の」買い上げ機構のような発想ではなく、一般の市民が投資しやすいように、例えば、最小の取引単位を1000株から10株に引き下げるなど、小さな改革の積み重ねで「民」の力を呼び込む環境をつくらなければなりません。日本を代表するホンダ、松下電器の株を買おうとすると何百万円も必要で、一般の市民が買うことは容易ではありません。5万円、10万円といった金額で取得できるようになれば、もっと個人の資金が流入すると思います。

 そして、何よりの株価対策は、金融機関の不良債権の思い切った処理です。先送りするのではなく、痛みを感じるとしても、将来に向けた大胆な「決断」(手術)が求められています。



 いずれにしても、「官主導」「中央主導」のシステムから、「民主導」「地方主導」の自立・分散型システムへの大胆な転換が必要です。まさに、「住民」が、そして「地方」が、主役の時代なのです。以下は、落選後、何も変わらないこの国への私のメッセージです。
(注)その後、ホンダをはじめ多くの企業が、100株単位での取引を可能としました。

 

1.自立・分散型国家へ~“官”から“民”へ~

 日本の最大の問題点は大いなる“過横並び国家” “画一的国家”であることです。“護送船団方式”という言葉がありますが、企業だけでなく、地域の街づくりも、教育も、あらゆる分野において、官主導、中央主導で、横並びの均一的なやり方でなされてきたことが、今日の日本の不幸を招いている最大の原因だと思います。

 例えば、これまで倒産するはずはないといわれてきた銀行が次々に淘汰・再編される状況を迎えています。これは、規制によって守られ、どこに預金しても同じ金利だった銀行が、これまでと同じやり方をしていては、時代の変化に対応できないことを示しています。ユニークな金融ノウハウ、魅力ある商品開発力をもった外資系企業が次々に日本に参入する時代、また、イトーヨーカー堂やソニーといった、異業種の企業が銀行経営に進出する時代には、もはや護送船団方式は通用しないのです。さくら銀行と住友銀行のように、合併によって事業基盤を強化し国際的な業務を行う銀行を目指すか、みなと銀行のように地域の銀行として、地元の中小企業のための銀行の道を選択するのか、これからの銀行は、独自の得意分野を持つしか生き延びる術はないでしょう。

 もちろん、こうした状況は銀行に限ったことではありません。日本の企業は縦横無尽に張りめぐらされてた系列によって守られてきましたが、これからは系列であることは意味をなしません。日産自動車のカールス・ゴーンさんがやっているように、安くて良質なものを提供する部品企業があれば、系列外の企業との取引をすることが当たり前。そして、インターネット上で、これまで縁もゆかりもなかった企業と取引することもごく自然なことになってきております。

地域社会も同様です。今の地方財政の7割は、国からの交付金や補助金でまかなわれています。全国どこにいっても○○銀座通りといわれる商店街がありますが、これは国がばらまいた予算をどの地域も横並びで使っているからです。銀座通りだけではありません。各地どこにいっても同じような文化施設、スポーツ施設があります。もちろん多少の違いはありますが、基本的には画一的な街づくりが行われてきたのが、日本の地域づくりの実情です。中央主導によって進められているのです。特色のある街づくりができず、活性化するわけがありません。

教育もしかり。均一な勤労者を養成することが戦後教育の大きな目標でした。全科目70点とれる子どもを育てることがよしとされ、そのための詰め込み教育で、子どもはストレスを感じ、また、その結果、発想力、構想力の乏しさにつながっています。そして、このような教育を受けてきた大人たちは、新しい発想ができないため、今の閉塞状況をなかなか打ち破れないでいるのです。

 こうしてみてくると、戦後成功してきた官主導、中央主導の画一的なやり方が立ち行かなくなっていることがわかります。護送船団、横並び、画一主義から抜け出さない限り、本当の意味で21世紀という時代が訪れないのではないかと思います。

 私は、こうした日本の状況を解決するために、日本を自立・分散型国家として再生すべきだと考えています。別な言葉でいえば、多様性を認めていくこと。すなわち、規制緩和によって多様な企業を生み出し、地域主権によって特色ある街づくりが行われ、自然体験、社会体験を通じて、多様な発想力、構想力をもった人材を生み出していくことが、今日の日本を再生させるための鍵であり、十人十色国家として再出発することが必要だと思います。そのために、「官主導」から「民主導」に、大胆な転換を図ることが必要で「住民が主役」、「地方が主役」にならなければいけないのです。国や行政に頼ることなく、自分たちでしっかりと自立し、あらゆる局面で「選択」をしていかなければならないのです。「選択」には「責任」を伴いつらいことかもしれませんが、国や行政はもう当てにはならないのです。(つづく)