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2007.10.14

私にとっての附中

 以下の文章は、神戸大学附属明石中学校創立60周年記念誌に寄稿したものです。私の考えや生い立ちを、よく理解して頂けると思いますのでご紹介します。

1、我が母校、附属明石中学校の創立60周年、心よりお祝い申し上げます。
 私が附中生として、明石海峡、淡路島を望むあの開放的な校舎で学んだのは昭和40年代の半ばでした。陸上部で真っ黒に日焼けしながらひたすら走っていたこと(ちなみに、個人3000mで明石4位、アンカーをつとめた駅伝では附中は市内2位でした!!)や、生徒会長や住吉戦で応援団長をさせて頂いたこと、そして淡く切ない初恋の数々(?)など、懐かしく思います。

2、入学した当初は、驚くことばかりでした。音楽の授業でいきなり“シンセサイザー”(電子楽器)を使ったり、ギターの弾き語りのテストがあったり、また、「電子情報数理クラブ(確かそんな名称でした)」でもコンピューターを使って、微分・積分の解析を取り扱ったりと、当時の中学校としては、世界最先端の学校だったのではないでしょうか。
まさしく、ここが「附属の附属たる由縁」です。附属は決して「受験校」ではないのです。「実験校」なのです。教科書などは使わずに、神戸大学の教育学部(現発達科学部)で研究されている最先端の内容を附属で実験しつつ、新しい時代を担うにふさわしい人材を育んでいくのが附属校の役割なのです。そして、その実験結果を一般の公立校に広げていく。今では、当たり前となった「総合学習」もこうした「附属校」の研究の成果として一般化したものだと思います。この意味では、附属生は本来塾など通ってはならないわけで、目先の受験のための無意味な暗記などは附属生には必要ないのです。

3、私自身の歩みを振り返ると、この附属中学の3年間(幼稚園から含めると11年間)がまさに私の人生を形づくっているように思えてなりません。附属小学校時代の成績は2や3ばかりで(体育は5でしたが)、仲の良かった友達が灘中などに進学するのをうらやましく見ていたものですが、今では附属中学校に進学したことを誇りに思うし、本当に良かったと確信しています。
 陸上部で自由に活動させてもらい、時事問題を扱った英語の授業や世界の新しい技術の開発の話には熱中したし、実験中心の理科の教室も楽しかった。当時、生徒会長として人生初めての選挙を経験し(白星スタート!)、2年生の3月に卒業式で「送辞」を読んだ時にひざの震えが止まらなかったこと、今でもよく思い出します。今では何千人の前でも平気で演説していますが、あの時の“初々しさ”を忘れてはならない、といつも思い出すようにしているのです。

4.現在、衆議院のテロ対策の責任者の一人として、世界中のテロを撲滅させるために活動していますが、アメリカはじめ、中東やアフリカに毎年何度も訪問しています。こうした活動の源泉や基本知識は附中で学んだものだし、日本の情報産業(IT)や医療・医薬の開発など最先端の活動を支援しているのは「電子情報数理クラブ」での(当時はわけのわからなかった)活動のおかげなのでしょう。映画や音楽を応援しているのも、音楽の授業で「創り出すことの感動」を知ったためかも知れません。
 いろんなことに興味や好奇心を持ち、自分で資料を集め、自分の頭で集中して考える。そして正しいと思うことをやり抜く。こうしたたくましい人間が、新しい附属からたくさん輩出してほしいと願っています。もちろん、一人一人の力は小さく、皆んなで力を合わせた共同作業がより大きな成果を生むことも忘れてほしくありません。「たくましく優しい」そんな附中生に期待をしています。

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