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ボクシング部時代の珠玉の思い出
東京大学ボクシング部が50周年を迎え、その記念誌に寄稿したものです。

1.この夏のロンドンオリンピックで、ボクシングで村田諒太選手が48年ぶりに金メダルを獲得した。体重の重いクラスの層が薄い日本でミドル級というのもすごいが、48年ぶりというのも快挙である。

2.その今から48年前の東京オリンピックで金メダルを取ったのは桜井孝雄選手であるが、実はその桜井選手のコーチであった広川秀雄先生が我々東大ボクシング部のコーチをしてくれていたのである。私たちはオリンピック金メダリストと同じコーチからボクシングを学んだのである。広川先生の口ぐせは「打たせずに打つ」、「東大生は体力はないが、その分、頭がある」で、いつもそう言われながら、世界最高レベルの技術を教わった。

3.何しろ、大学1年でボクシング部に入って、ほとんどの部員が生まれて初めてボクシングのグローブを手にするが、最初の三カ月はひたすら「フットワーク」。そして「左ジャブ」である。利き腕の右手はすべて“ガード”に使う。徹底したアウトボクシングで、基本は「ヒット&アウェイ」。アマチュアらしくポイントで勝つことを徹底的に教わるのである。右ストレートを教わったのは、夏が過ぎ涼しくなった頃だっただろうか。「右ストレートを出すのは相手を倒す時だ。最後の最後でいい」と言われていた。確かに右ストレートを打つと体が正面を向き、相手からすると的が大きくなり隙が多い。右ストレートは利き腕の強いパンチではあるが、リスクも高いのである。

4.もちろん、このように教わっても、我が同期の主将、城崎昌彦氏(現電通)のように、高校時代からプロのジムで揉まれてきた武者は、ファイタータイプで、最初から最後まで激しく打ち合うスタイルは全く変らなかった。ある時、城崎氏がKO勝ちで試合を終えた後、しばらく経ってから「あれ、オレ試合やったっけ?」と言った時には驚いた。とうとう「パンチ・ドランカー」になったのか、と皆で笑いながらも冷や汗を流したものだ。

5.その城崎氏の力は大きく、我が期は、関東大学3部リーグで準優勝。記憶違いでなければ、団体戦の練習試合でも、明治、立教、早稲田、日体大、青学大といった大学には勝ったと記憶している。いつも「東大なんかに負けるな!」という声援が聞こえるが、実際に東大生に負けて、本当に悔しそうにしていたのが印象に残っている(写真)。

6.私自身も、個人的には、9勝2敗。明治、立教、日体大、早稲田、青学大、国学院、大東文化大といった選手に勝った。ちなみに、文京区大会では2度優勝。メダルは今でも自宅に飾ってある。と言っても、文京区だからその名の通り、ボクシングをやっている人は少ない。どの階級もいつも数人しか出場者がなく、1回か2回勝てば優勝だ(笑)。2敗のうちの1敗は、1984年のロサンゼルスオリンピックの予選の予選の東京都大会の1回戦。相手は日大の東悟氏。日大は1部リーグ所属の強豪とはいえ、こちらは3年、相手は無名の1年生。勝てるかもしれないと思ってリングに上がったが、相手は同じフェザー級(57kgまで)とは思えない体格。「首がない!?」と思いながらゴングが鳴る。お互い様子を見ながらではあるが、こちらのワン・ツーが入る。でもビクともしない。と思っていたらいきなり相手の猛攻に。あとはよく覚えていない。わずか1ラウンド1分30秒くらいでKO負けである。
結局、その東氏は東京都で優勝、オリンピック本予選の日本選手権でも優勝。ロス五輪日本代表となった。ロスでは確か、ベスト16まで残ったと思うが、その後プロに転向し、日本チャンピオンにまでなった。その間、アマチュアでは、我が同期の主将、城崎昌彦氏や吉森照夫氏(東大ボクシング部総監督)とも戦ったが、やはり東氏が勝っている。プロのようなボクシングをする強いアマ選手だった。懐かしい思い出だ。

7.ボクシング部の思い出は尽きない。毎夏の練習の後には、駒場の線路沿いのかき氷屋さんで、丼いっぱいのかき氷を食べた。1回約2時間の練習で、2~2.5kg体重が減るのだから、水分補給は当然だが、皆でかき氷をつつくのはホントに楽しいひとときだった。
山中湖の夏合宿の時も、午後の練習が終わったら、洗面台まで一目散に走り、水道の蛇口に口をつけ、水をガブ飲みしたものだ。最終日の山中湖1周マラソンもよく思い出す。合宿も最終日となってヘトヘトに疲れている体にムチ打ってのマラソンである。走り終えた後、「これ以上辛いことはない。何でもできる」と変な自信がついたものだ。

8.私は減量は「楽そうだね」とよく言われた。大学入学してボクシングを始めた時の体重は約64kg。最初の試合はライト・ウェルター級(63kgまで)。その後、ライト級(60kgまで)→フェザー級(57kgまで)と下がり、その後の試合はほとんどがフェザー級だった。一度バンタム級(54kgまで)でやったことがあったが、さすがに減量に苦しみ一回でやめた。ちなみに、大学卒業後体重は73kgくらいまで増えたが、昨年(2011年)一念発起し、第一回神戸マラソンを走ることにし、トレーニングを始め、今では65kg前後をキープしている。大学入学の頃と同じくらいということだ。
ちなみに、神戸マラソンは完走したものの、6時間以上かかってしまった。その1ヶ月前の地元での「第27回淡路国生みマラソン全国大会」では、ハーフを2時間9分で走っただけに、調整の失敗に悔いが残っている。5時間以内で走るべく、近いうちにリベンジしたいと考えている。

9.以上、東大ボクシング部での経験のおかげで、「打たれ強い」、「へこたれない」今の自分があると思う。あのリングに上がった時のあの何ともいえない恐さ。自分以外誰も頼れないのである。相当度胸もついたと思う。日本の経済・社会・外交の先行きに不安や閉塞感が広がっているだけに、このボクシング部で培った度胸、根性、打たれ強さ、心身ともにタフであることを最大限活かして、日本の将来のために全力を尽くしたい。政治も流動化し再編もあり得るだろうが、その中心でワン・ツーパンチを繰り広げたい。広川先生の教え通り、フットワーク軽く、基礎(初心)忘れず、政治の世界の“金メダル”を目指して頑張りたい。