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2008.1.11
正月には凧揚げを〜遊育のすすめ〜
1.昨年、今年と正月に、地元の子供会の会合などで、子供たちに正月の過ごし方を聞いてみた。凧揚げをした子はたったの一人か二人、こま回しは数人、かるた取りは十数人であった。それでは子供たちはどうやって正月を過ごしているのか。実は、ほとんどの子供たちがDS(任天堂)かPS(ソニー)を持ち、「正月はゲームをして遊んだ」と手を挙げたのである。これが現代の子供たちの実態である。

2.ゲームがすべて悪いわけではないし、小さい頃からコンピュータになじむことも必要かもしれない。しかし、やはり正月は凧揚げ、こま回しである。私も小さい頃は父と一緒に凧をつくり、足を何本にすればいいかなど、子供ながらにいろいろ工夫したものである。そして、いざ凧を揚げるときには、「どっちから風が吹いているか?」「あそこまでは走っても大丈夫だが、その先は危ない」など、自然のうちに判断力や直観力を身につけていったのだと思う。昔から伝わっている遊びには、子供を育てる(鍛える)先人たちの知恵が凝縮しているにちがいない。ふだんの遊びもそうではないか。昔子供の頃よく遊んだ「馬跳び」や、地面に四角をいくつか書いて石を投げ入れて遊んだ「ケンケンパー」など、遊びながらのうちに足腰の基本的な力や(片足で立つことによる)平衡感覚を育てていたのである。しかし、現代の子供たちは、部屋に閉じこもり一人でゲームをしているわけで、仮想空間の中で平気で人を傷付けたりもするわけである。

3.時折しも、「自分だけ良ければいい(他人は『関係ない!』)」「楽して儲けよう」「自分の企業だけ良ければいい」(さらに言えば「日本の国だけ平和であればいい」)と言った風潮が広がっていることに、大変な危惧を覚えている。様々な食品偽装や防衛省不祥事がその典型である。日本人の本来の美点は、「真面目に、勤勉にコツコツ働く」「他人のための自己犠牲」「和を大切にする」ことであったのではないか。もちろん、この前提となる「真面目に、コツコツ勤勉に生きている」人々が必ず報いられる社会としなければならないのは政治の責任であるが、世界から評価をされてきた日本の国民性が変質しつつあることに、たいへんな危機感を覚えるのである。

4.このことは、ネット社会の急速な広がりにも大きな原因があるのだろう。インターネットを通じて、「何でも」「どこでも」「手軽に」情報が手に入る時代である。大きな努力は必要ないのである。この原稿もインターネットのおかげで多くの読者の皆さんに読んで頂けるのであり、ICT技術の進展の恩恵は計り知れないが、皮肉なことに、ここに書いたような現実も生み出している。

5.今一度、先人の知恵である正月の遊びなど、日本の伝統的な遊びを見直し、国民運動として展開すべきことを主張したい。「コンピュータ教育」も大事だが、子供の頃は何より「外で遊ぶ」ことが大事である。いわば「遊育」のすすめを新年の提案としたい。こんなことを考えた正月であった。

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