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「アメリカ留学時代を思い出しながら」
1.今日は、都内ホテルで8時から「製薬勉強会」。研究開発促進のための税制や、薬価決定の仕組みの改善についての議論を行う。私からいわゆる「ジェネリック薬」(特許が切れた後に出される後発品)の品質確保、安定価格のための方策について議論させて頂いた。
党本部に戻り、続け様に原油高騰対策、養殖漁業における餌飼料の緊急確保策、金融市場の動向、衛星開発の在り方について議論。その合い間に、北城恪太郎・経済同友会終身幹事からエンジェル税制について(ベンチャーへの投資促進)について、小椎尾隆・兵庫県老人福祉事業協会会長他の地元の福祉施設の方々から「健全な施設運営」(大半が赤字経営)の在り方について、また自動車関係者から「クリーンな車の普及に向けた税制」について、それぞれ要望をお聞きし、意見交換を行った。

2.11:30には、モンゴルのエルベグドルジ元首相の表敬を受ける(写真)。旧知のガンホヤグ議員はじめ、現在は野党民主党の皆さんであるが、エルベグドルジさんはまだ若く(私より一才若い)、仮に政権交代すれば再び首相になると言われている(既に2度も首相を経験している)。日本では、政権交代が起こらないようがんばらなければならないが、モンゴルは与野党問わず、日本との新たな関係構築・強化を望んでいる。しっかり受けとめなければならない。

3.昼食は、韓国の友人・ピョウさんが来日されており、昼食をともにする。ピョウさんは、メリーランド大学院に学んでいた時の同級生である。年齢は私より15才は年上だが、大変親しくしてもらっている。当時のメリーランド大学の公共政策大学院には、米国の外交政策を学ぶ特別のプログラムがあり、世界20ヵ国くらいから、(私のような)官僚、外交官、ジャーナリスト、学者、民間企業家などが参加し、半年間、連日、国際関係や米国の政策について集中的な議論を行ったのである。ちょうど1991年の湾岸戦争の時であり、日本の人的貢献がなく、非難めいた意見を“集中砲火”されたことを今でもよく覚えている。当時の日本の国内の議論と比べれば、自衛隊の国際的な活動は幅広く理解されるようになった。今や「本来任務」である。当時では想像しなかった変化であるが、日本が孤立しないためにも、また、安全保障のためにも、国際的な平和構築のために、しっかり責任を果たさなければならない。

4.そのプログラムの終了の後、1年間でマスター(修士号)を取るのに大変苦労をした。普通は1年半~2年かかる単位を1年で取得したのである。興味のある科目は全部取ったが、例えば「アメリカ国内政治」は、知らない下院議員の名前や地名が山ほど出てきて本当に苦労した。一方で経済学は数学中心なのでそれなりの成績を取れた。それにしても、各科目とも、毎週3~5cmくらいの厚さの課題図書(もちろん英語!)を読まなければならず、本当に大変だった。週末には、北中南米や米国中西部にもよく出かけたが、毎回バッグに2~3冊の本を詰め込んでの旅行だった。結果的に無事修士課程(大学院)を卒業出来たし、アメリカ国内の半分の25州を訪れることができた(訪問した国の数は、香港、マカオ、台湾を除いて、現在68ヶ国である)。

5.午後は、私が設立準備委員長をつとめる「e-スポーツ協会」の設立準備委員会、ガソリンスタンドの環境政策の打ち合わせ、事務局長を務める幼児教育小委員会において「無償化」に向けた議論、全国保育問題議員連盟総会と続く。
夕方には、政治家のパーティーが3つ、与党議員の勉強会が2つ、国交省幹部との懇親会と続く。今夜は何時に帰れるだろうか。