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中央アジア・コーカサス・中東・アフリカ出張(その②:「グルジア編」)
1.グルジアでは仕事が山ほどあり、かつ、テーマには事欠かない。首都トビリシ到着後、すぐに、昨年ロシアとの紛争地となったゴリ市へ。南オセチアから避難してきた、いわゆるIDP(国内避難民)のキャンプを訪問し、生活の実態、NGOの支援活動などを視察(写真①)。南オセチアとの境周辺はEUのミッションが監視を行っており()、時たまグルジアの警官と南オセチアの民間武装勢力が小競り合いがあるが、概して落ち着きを取り戻し、安定しつつある、とのことであった。市民にとっても、安全が第一であり、とりあえずひと安心というところか。

2.続いて、日本の(草の根)無償協力により建設した障害者施設を訪問し、子供たちとも楽しんだが()、大歓迎をされ、涙が出るほどうれしかった()。少ない金額の支援で、これだけ喜んでもらえているのである。経済大国として、引き続き、いや今まで以上に、草の根の支援も増やさなければならない。

トビリシに戻る途中に、グルジア生まれのあのスターリンの生家を訪れ、二枚目だった若かりし頃の写真を見つける()。また、ロシアの攻撃により、壊されたアパートもすっかり復興し()、グルジア国民の新たな生活がスタートしていた。

3.また、トビリシ郊外のムツヘタ市は、世界遺産の町にふさわしい、緑と水(川)に囲まれた古い街である()。

昼食は、もはや友人とも言えるヴァシャッゼ外務大臣と()、景色のいいレストランで。今年の3月に来日された時にお会いして以来(2009年3月12日ブログ参照)、わずか2ヶ月ほどで訪問の約束を果たせたことを感激してくれたし、今回は新たに在グルジア日本大使館オープンの大事な日である。日本とグルジアの関係の新たなスタートであり、同世代の政治家同志、二人で末長い信頼関係を誓い合った。

4.そして、新たにオープンした大使館の前で、蒲原正義大使はじめ大使館員の皆さんと一枚()。続いて、バクラッゼ国会議長、バインドゥラシヴィリ財務大臣と意見交換。お二人ともそれぞれ36才、30才の若さであり、さすが若い国だけあってエネルギッシュな若手の政治家ばかりである。米国留学組も多く、流暢な英語を話す。市場主義、民主主義のモデル国として成長してきたが、急速な改革を進めた反面、セーフティ・ネットなどの社会保障政策の整備が遅れており、失業率は25%にも及んでいる。日本の雇用政策なども改めて紹介した次第である。まだ国づくりの段階だが、日本として手伝えることはしっかり応援したい。