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中央アジア・コーカサス・中東・アフリカ出張(その①:「ウズベキスタン・アゼルバイジャン編」)
1.ウズベキスタン航空で朝4時頃、首都タシケントに到着。ホテルで少し休んだ後、6時から市場を見学に。初めての国だけに、その国の台所を知るにはやはり市場が一番だ。驚くなかれ、雨の少ない中央アジアのウズベキスタンで、真っ赤なトマトやイチゴ、きゅうり、ピーマンが所狭しと並んでいるではないか(写真①)。これには驚いた。農産物はほとんどないのではないか、と(勝手に)予想していただけに、新鮮な感動であった。意外と(失礼!)農業大国なのである。

2.7時過ぎ、日本人抑留者の慰霊塔に参った後、航空機工場「タポイチ」へ。元首相のスルタノフ氏が丁寧に説明・案内してくれた()。こちらはYS-11から約45年ぶりの国産飛行機MRJ(三菱リージョナル・ジェット)の売り込みであったが、逆に「製造をさせてもらえないか」との話である。確かに立派な工場で、外国からも受注が多いという。製造は無理にしても、何らかの協力ができないか、早速、経済産業省と三菱重工の幹部にウズベキスタンに来てもらうこととした。この話は、アジモフ第一副首相()と大いに議論した次第である。

3.そして、日本語教室も開いている日本センターへ。思わず、日本語教室へ飛び込みで、私からワンポイントレッスン()。日本センターの入ったビルと、インターコンチネンタルホテルが並んでいる光景は未来都市のようだ()が、回りには何もない。

そして、有名なナボイ劇場へ()。これは、日本人抑留者が建設したもので、その旨の掲示がなされていたが、カリモフ大統領が「ウズベキスタンは日本と戦争していない。“日本人抑留者”の表現はおかしい」として「日本人が」の表現に改められた。日本を“大事なパートナー国”と考えてくれている、象徴的なエピソードである。

4.そして、ノロフ外務大臣と会談()。両国関係について、様々な意見交換を行ったが、特に、6月6日のタシケントでのウズベキスタンvs日本のサッカー・ワールドカップ予選に際しての、日本人応援団(約1000人)のスムーズな入国と安全確保を依頼した。

空港に向かうが、その間、いすゞが現地工場で製造しているバスを何台も見かけた()。

5.午後、カスピ海の上を越えて、アゼルバイジャンへ。以前から一度訪れたかった国の一つである。首都バクーはカスピ海に面した美しい街()で、石油の街らしく、近年の石油価格高騰に伴い、まるで先進国のように高いビルが立ち並び、中心部は大変整備されている()。しかし、少し郊外に出ると、油田での生産現場に出くわす()。日本企業も何社か石油の生産活動を行っている。

6.夕方に、シャリフォフ副首相と意見交換()。両国の経済関係を強化すべく、突っ込んだ意見交換を行った。盛んに「もう一泊して、地方に行こう」と誘われるが、グルジアでの大使館オープンのイベントもあり、後ろ髪を引っ張られる思いで別れた。

ママドクリエフ外務次官との夕食会を終えて、次はいよいよグルジアだ。