活動報告

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2010.12.30

アフリカ出張報告(ナイジェリア、南アフリカ、マダガスカル、ケニア、セーシェル、ルワンダ)

1.この夏も、また、アフリカを訪問した。自民党のAU(アフリカ連合)友好議員連盟事務局長として、もう既にアフリカの26ヵ国を訪問してきたが、特に資源確保の観点から極めて重要なアフリカにおいて、日本が存在感を保持するためにも、また、私自身のライフワークとして、できる限り毎年アフリカを訪問するように心がけているところである。

2.今回は、ナイジェリア、南アフリカ、マダガスカル、ケニア、セーシェル、ルワンダを訪問した。そのハイライトを中心にご報告したい。

まず、ナイジェリアでは、サディク・ハサンNIPC(ナイジェリア投資公社)総裁代理、オニウォンNNPC(ナイジェリア石油公社)総裁、ホング外務担当大臣と意見交換(写真①、②、③)を行い、日本企業の進出、日本の権益確保についてサポートを求めた。

また、アフリカの悪い土壌で育つ作物を研究する農業研究所(日本が支援:写真④)を視察し、日本が無償資金で協力した小学校の竣工式に出席し祝辞を述べた(写真⑤)。

南アフリカ及びケニアでは、進出している日本企業の皆さんと、資源外交の課題等について意見交換を行った。

3.マダガスカルでは、昨年3月のクーデター以降、新政権即ち、ラジョリーナ大統領政権を国際社会が認めておらず、政府関係者とは接触しなかったが、ニッケル事業に対し、約4,000億円もの投資を行っている住友商事の方々と、その後の状況・影響について意見交換を行うとともに、義父の吹田愰が1997年に建設した日本海軍特殊潜航艇慰霊碑にお参りをし、その修復のための視察を行ったのである(写真⑥)。

1942年に、マレーシアを出港した母艦に乗って、マダガスカル沖までやってきた二艇の特殊潜航艇が、マダガスカル最北端のディエゴ・スアレスの湾内で英国軍艦と英国タンカーを撃沈したのである。特殊潜航艇慰霊碑は、この時戦死した4人戦死を祀ったものである。祖国から遠く離れたアフリカ南端のこのマダガスカルの地で、立派に任務を果たされ、思い半ばで無念の中に散ってゆかれた。私の義父もその順番を待つ身であったという。英霊の安らかに眠られんことを祈り、日本の平和と繁栄のために全力を尽くすことをただただ誓うばかりである。

4.セーシェルでは、2009年6月に続き(2009年6月11日活動報告参照)、海賊問題を中心に、ミッシェル大統領(写真⑦中央)、アダム外務大臣(写真⑦右側)、モーガン内務大臣(写真⑧)と意見交換を行った。ソマリア沖の海賊は、警備の厳しくなったアデン湾から南下し、セーシェルやケニアの沖にまで広がっているのである。このため、日本のかつお・まぐろ漁船も今年はセーシェルの水域にまで来ていない。
日本としては、セーシェルから湾岸警備の研修生を受け入れたりするなど協力を強化しているが、あまりにも海域が広すぎてなかなか手を打てないのが現実である。ケニアやタンザニアの沿岸警備隊とも連携して何らかの対応ができないか考えてみたい。
ちなみに、セーシェルはヨーロッパ人にとって、最も魅力あるリゾート地の一つである。日本からの直行便を含めて、観光客の拡大を要望された。確かに美しいビーチが広がり、男一人仕事だけで行く所だけでないことは確かだ。
なお、日本が無償資金で協力している漁業施設なども視察(写真⑨)。

6.ルワンダでは、唯一の輸出商品のコーヒー公社を訪問(写真⑩)し、さらに、今年オープンした日本大使館を訪問(写真⑪)。近くで存在感を示す中国系のホテル(写真⑫)や中国大使館には及ばなくとも、日本ももっと存在感を示さなければならない。自民党政権時代には、アフリカに毎年日本大使館を増やす方針を決め、予算化していったが、残念ながら、民主党政権下ではストップしてしまった。
アフリカで資源外交や国連外交(日本の提案への支持獲得)を展開するためには、大使館の存在が不可欠である。民間のビジネスを支援するJETRO(日本貿易振興機構)も、事業仕分けにあって、海外事務所の縮小を余儀なくされている。このことも問題だが、大使館は、もっと重要である。自民党時代には、アフリカ53カ国中、24カ国しかなかった大使館を3年間で31カ国に増やしたが、中国にひけを取らぬよう(中国は48大使館)、さらにしっかりと充実させていくことが必要である。

写真①
写真②
写真③
写真④

写真⑤
写真⑥
写真⑦
写真⑧

写真⑨
写真⑩
写真⑪
写真⑫
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